ゲーリー・ヤマモト(gary yamamoto)のルアー(ワーム) | アメリカンルアー

ゲーリー・ヤマモト(gary yamamoto)のルアー(ワーム)

ゲーリー・ヤマモト・カスタム・バイト社
(gary yamamoto custom baits)

1982年頃に倒産した、ワーム製造メーカー、ツインティーズ社(Twin T’s)をゲーリー・ヤマモト氏が購入、理想のワームを造る会社として創業した。

 

ゲーリー・ヤマモト(gary yamamoto)

日本のバスフィッシングを創成させた人物であり、元トーナメントアングラーであり、ワームの実力を世に知らしめた人物。

他の釣り好きからルアーを作成し、有名になった創業者達とは違い、彼はハワイで生まれ30歳過ぎまで釣りに触れる機会がありませんでした。
しかし、ロスでコンピューターの営業をしていましたが、子育ての為にアリゾナ北部のペイジという美しいリゾート地に引っ越します。

このペイジにあるバス釣りで有名なダム、レイクパウエルでキャンプ場を購入し運営を始めた事をきっかけにバス釣りにのめり込みます。

そして、バス釣りのトーナメントに初参加し優勝してしまいます、その後、トーナメンターとなった彼は市場にあるワームでは満足ができなくなっていきました。

 

ゲーリー・ヤマモトのカスタムオーダーワーム

出典:ゲーリーインターナショナル

市場のワームに満足いかなくなったゲーリー・ヤマモト氏は、自分の求めるカスタムワームの為に色の研究をし、5色25000パックのスペシャルオーダーを行い、使い切れないワームを地元のアングラーに販売したところ、そのワームの釣果が噂になり他の州からも購入希望が殺到し即完売となった。

 

ゲーリー・ヤマモト氏の日本での活動

日本地図のイラスト(都道府県ごとに区切り)

ツインティーズ社を購入後2年程して4つのグラブを発表、ツインティーズ社の顧客リストの中にいたゲーリー・ヤマモト氏に好意的な日本の卸業社が大量に購入をしました。…が、当時のアングラーにはグラブを知らず、誘い方ところかセッティングするほとんどのアングラーがしりませんでした。

卸業者は、どうにもできず返品願いをせざるを得ない状況に陥りました。
コレに対して解決すべく、ゲーリー・ヤマモト氏は日本へ向かいました。

その時点で何も策が無かったものの、日本に来て、後にゲーリー・ヤマモトの総代理店となるゲーリーインターナショナル株式会社の代表となる河辺裕和氏、後にJB(日本バスプロ協会)会長となる山下茂氏と出会い日本に子会社を設立。

この会社では売上目標や広告宣伝をする事を主とせず、アングラーへワームの使い方を伝えていく事に従事しました。

また、その中で、彼らと一緒に日本でバストーナメントの創立の手助けを行いました。

 

そしてアメリカへ

自由の女神像のイラスト

日本での活動を終えた時、70%の売上が日本となっていました。
アメリカでの販売については、日本で培ったノウハウをそのまま応用し、売上目標や広告宣伝をする事を主とせず、アングラーへワームの使い方を伝えていく事に従事、なんとこの後8年間で全米が知るメーカーとなりました。

 

ゲーリー・ヤマモト(gary yamamoto)のルアー

スーパーグラブ

出典:ゲーリーインターナショナル

ゲーリー・ヤマモトが日本へ向かう事となった、ゲーリー・ヤマモトの最初に発表されたグラブ!

 

 

 

 

 

ハートテール

出典:ゲーリーインターナショナル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カットテール

出典:ゲーリーインターナショナル

 

 

 

 

 

 

ヤマセンコー

出典:ゲーリーインターナショナル

 

 

 

 

まとめ

・ハワイ生まれの日系人、ゲーリー・ヤマモト氏が創業

・日本バスフィッシング界を語るには、絶対に外せない人物

・比重・形・動き、どれも研究しつくされたワーム

・日本人アングラーには、伝説の人物であり伝説のメーカー

 

 

ゲーリー・ヤマモト氏の背景や、当時に想いを馳せるとワームはやっぱりゲーリー・ヤマモトで釣りたくなりますね。

 

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